青年のしょうもない持論

私が普段思ったり感じたりしてることを書き留めます。日記としても使います。

脳内

私は私という認識をどうやってしてるんだろう。死の感覚はどんなものなんだろう。こんなことばかり日頃から考えていたら、鬱になるのも仕方ない。まぁ死についての恐怖感、死についての反復思考は鬱の症状の一種でもあるしな。

鬱か鬱じゃないかはどうでも良い。

俺の場合、独りよがりに死について真剣に考えると倒れそうなぐらい耐えられないの虚無感に襲われる。

死に対する恐怖は普遍的なものであり、俺だけが感じることじゃない、俺だけしか気づいてないことなど存在しない。

宗教や神などは人間が作ったものだ。死後の世界など人間の脳では考えられないことがあるんだろう。もしくは何もないか。

俺は、こんなことばっかり考える脳を持ったことを後悔してる。でも、人間の科学では解明されていないだけで虫や植物や動物の方がもっともっと高尚な次元で物事を考えているかもしれない。そんなこと考えてるときりがないのは分かってる。本当に愚か者。たしか仏教でも初期の頃は死については分からんって言ってるはず。考えてるやつはバカだ的なことも言ってた。

 

全ては人間の尺度で動いてる。

何が良くて何がダメだなんて時代によって変わる。人間の善悪の基準は多数決で動くんだ。

こんなに毎日みんな頑張って頑張ってどこに向かうのだろう。もはや、人類の存続が目標ではないよね。みんな裕福になっていって人間の数は減っていく。昔の文化伝統なども勿論廃れていくでしょう。誰の記憶からもなくなる。

 

僕はずっと誰かの記憶に残らないと意味がないと思って生きてきた。何か教科書に残るぐらい大きいことをして死ななければ生きた証がないじゃないかって。最近、考え方が変わってきた。起こした行動ややってることが誰の目にも留まらなくてもやったという事実は良くも悪くも消えない。抹消は出来ない。自分の人生に自分が証人になればいい、自分が死んで自分がやったことが周りに知られてなかったとしても、起こった事実は消えないのだからそれで良い。

とても独りよがりな考え方ではあると思うが、随分、心がポジティブになった。

こういう考え方はみんなしてる。自分は特別じゃない。特別じゃないのが嫌だ。でも仕方ない。

俺の考えてること起こしてる行動はきっと誰かがやってて、それをなぞってるだけなんだろうな。自由に自由にというけど、みんな見たものに考えが影響されて行動が変わって、自分が自由に選択してるつもりでも誰かにコントロールされてるかもしれない。

俺は自己分析とか人の考えてることを考えるのが、好きだけど自分の傾向がわかればわかるほど、しょうもない人間に思えてくる。

自分の意見は、他人の意見ありきによって形成される。逆張りすることが多くて人の意見に惑わされて、天の邪鬼の捻くれた正直者だ。

 

こうやって自分を決めつけて0か100で考えるところも悪い癖。

あーあ、俺じゃない人になりてえなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読み返してみたけど、非常に滑稽だな。

何にも成し遂げてないくせにな。

僕は、上みたいな文章とエロいことしか考えてません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺が体験したこと考えてることの傾向が

 

皆さんはいつ孤独を感じますか?

 のうたりんです。普段はツイッターをしているが、たまにはブログも書こうと思って書いてる。

 日頃からたまに考える事があったのでここに書き留めておこうと思う。

 

ずっと、私は1人で何もしないで家にいる人や社会と関わってない人や親族や友達が1人もいない人もが、孤独を感じているのではないかと考えていた。でも、私自身が、引きこもっている時期があったが、そこまで孤独を感じていなかった。それが凄く不思議だった。多分、ネットで自分と同じような現状の人たちと繋がれてたという理由もあるかもしれない。それにしても現実の友達は1人もいなかったので孤独を感じてもおかしくはない状態だった。

 

しかし、大学生になって友達などと大勢で話している時、話はすごく盛り上がっていてもとんでもないぐらい孤独を感じる瞬間が多々あった。友達同士が話してるのを観るのも同じぐらい孤独を感じた。

 私は人と関われば関わるほど孤独って感じるものなんだなと学んだ。

 

 1人でいると周りに人が居ないから自分が孤独ということに気づいていない。すなわち孤独という概念がなかったんだという結論に至った。

 周りから客観的に見て孤独な人は、案外孤独ではなくて、みんなと話して仲良くしている人ほど孤独であったり、その孤独感を埋めようと必死になっている人なのかもしれない。

 

皆さんはいつ孤独を感じますか?

 

 

強迫性障害が酷い時に見た夢

今日は日曜日でしたね。皆様はいかがお過ごしでしたでしょうかー!有意義に過ごせましたかー?

僕は、ツイートでは有意義に過ごしたいといっていましたが結局午前中は、ずっと寝てしまい

午後から部屋の掃除をしたりしました。部屋が綺麗になると気持ちが良いですね。

 

今日は、強迫性障害が一番酷かった16歳の頃に見た夢の話をしたいと思います。

僕の強迫の主な症状は、便を漏らしてしまうのが不安で仕方なくなって何度も何度も行ってしまうというものです。家の真ん前のコンビニに行くのにも冷や汗をかいていました。外に出るのにも一苦労だった、そんな時期に「強迫が治った夢」を見ました。それはそれは、心地が良くてどこに行くのにも不安を感じる事がなく、夢の中でとてもテンションが上がっていたのを覚えています。電車に乗るのも車に乗るのもコンビニに行くのも楽々出来てました。しかし、それは勿論夢だったので目を覚ました時にがっかりしました。しかし、それと同時に、夢の余韻で治ったように感じました!

僕は、今なら外に行ける!と思って起きてすぐにお金を持ってコンビニに行きました。

結果、全く不安を感じませんでした。

しかし、残念ながら夢の余韻で良くなったものの、1日後には元どおりになってました。

 

という、まぁ一日だけ強迫による不安がなくなったという経験談です(笑)

 

夢の力って結構凄い…。

 

以上!おやすみなさい。

 

 

 

 

 

【自己紹介】ノータリン・ダンゴです。

初投稿という事で、自己紹介的なことをしていこうと思います。

 ブログ自体を書くのは初めてではありません。何度も書いては消去し、書いては消去しを繰り返しており、持ち前の継続力の無さを存分に発揮しておりました。

 なぜ、またブログを書き始めるのかと言うと元々、文章を書いたり自分の意見をまとめるのが好き(得意ではない)で、Twitterではよく持論や日々の出来事をこまめにツイートしていたんですが、140字以上でも語りたいなぁとまた思ってしまい、ブログを開設した次第であります( ̄^ ̄)ゞ

 

 私の生い立ちについて軽く大まかに説明したいと思います。

中学2年生の時、転向したことをきっかけに元々持っていた持病の過敏性腸症候群(IBS)の症状が酷くなり、学校が行くのが億劫になった。そのまま不登校になってしまい、週1回のフリースクール的な所に通うようになりました。勉強も学校を行くのを辞めるのと同時に殆どしなくなったので、高校は通信制の学校に行こうと思っていましたが、フリースクール的な所の先生に全日制の高校を目指して欲しいと言われたので渋々、不登校児などを受け入れてくれる高校に入学しました。あまり頭の良い学校ではなかったが、不良などは1人もおらずみんないい人ばかりで楽しく過ごしていました。しかし、どこか息苦しさを感じてしまい、表面的には楽しいのを演じていたが、友達と話すのがしんどかなってしまいました。結果、高校は2学期から行くのを辞めました。

 高校は、確実に留年が決まり、どうすればいいかなーだと思っていたら、高卒認定という制度を知り「これや!」と思って学校を辞めて高卒認定試験の勉強を始めました。高2の8月の段階で高卒認定合格して、「大学受験勉強がんばろ!」と意気込んでいたのですが、意思の弱さが露呈して大学受験勉強を全く継続できませんでした。高3の冬になって、色々な縁があってなんとか医療系の大学に滑り込むことができました。正直、医療系はとても興味があるということではなかったんですが、勉強してるととても奥が深いことを知ったので続けられそうです。

 持病の過敏性腸症候群による強迫性障害は、引きこもっていた最後の1年ぐらいで、認知行動療法を続けてだいぶ良くなりました。酷い時は外に出れないぐらい酷かったですが、よくなって良かったです。

 

というように、まぁ乱雑にまとめたんですが、追い追い、いろんなことを書いたりしようと思います。どうぞよろしくお願いしますm(._.)m